8月のすべて(入院日記1)
8/10手術当日。術後の夜の記憶があまりない。体中に点滴とカテーテルとドレーンをつけられて、回復室のベッドの上で身動き取れずに、言われるがままに朝まで。
その翌日、術後1日目が大変だった。
予定では1日目から介助してもらって歩くのだが、開腹した後の傷は痛いわムカムカするわでそれどころじゃない。寝返りを打つのすら難しい。
そんな状態だから、気持ち悪くなって「うっ」と来ても吐けない。吐く姿勢を取れないし、力むとハラ傷に激痛が走る。一応いつでも吐けるように、洗面器的なやつ(ひょうたん割ったみたいな形したアレ)は準備してあるんだけど、この状態で嘔吐できた人なんかいるんだろうか。
夕方、本来歩けたら自力で病室に帰るところを、ベッドごと強制帰還。
夕食直前に。
回復室で他の患者さんの見舞い客がやたら食べ物の話をしてて、それを聞いただけでも「うっ」と来てたのに!この状態で周りが食事・・・地獄だあ・・・。
18時、夕食が各々のベッドに運ばれて来た。とにかく何とかやり過ごすしか…と覚悟をしたが…あれ?意外と平気だぞ?
考えてみれば病人食なんで、匂いというものがほとんどしない。その上食べてる人たちも食欲があまりない人たちだから、食べる気配が非常につつましやか。
カーテン閉めていれば食べる姿を直接見る訳でもないので、思いのほか苦労せずにやり過ごせた。
食欲満々、健康体の人たちの「食べ物の名前」や「食べる様子」といった「言葉」の方が、実際の食事の気配よりよっぽど強烈なんだ、と面白い発見をした。
その日も寝返りが打てず、ベッドの上に貼りつくようにして寝る。
8/12、術後2日目。寝返り&歩行チャレンジ。
点滴+カテーテル+ドレーン三位一体をひき連れつつの歩行はできたけど、数メートル歩くだけで気持ち悪くなる。
寝返りは、いつも左を下に寝ているのでその体勢にしたいが、カテーテルとドレーンのチューブは体の左側についているから下にはできない。
左側に寝返り打っても抜けませんか、と看護師さんにたずねたら、「大丈夫ですよ〜、そのくらいじゃ抜けませんから」。
大喜びで左を下にしてベッドに寝転び、くつろぐ。ああ落ち着く〜。
ところがそれで1時間くらいまったりしていたら、パジャマに濡れた感触が…。
やっちゃった!?カテーテル(尿管)破れた!?平たく言うと「おもらし」しちゃった!?
あわてて看護師さんを呼ぶと、異常はカテーテルではなく、ドレーンの方だった。体重をかけたために管の入口がつぶれてしまい、中の汁(汁って言うな)がモレてしまったのだ。
だってさっき寝返り打ってもいいって言ったじゃないか志織ベイベー!と思ったが、彼女が言った寝返りは単なる「方向転換」のことで、「長時間下にしているとこういうこともあります」とのこと。
その後独自に訓練を重ね、右下寝でも落ち着けるようになった。管が2本脇腹に乗るのでちょっと重いけど、あお向けオンリーよりは相当ラク。
夜寝る前、「長時間右を下にした姿勢でも大丈夫ですか」と夜勤の看護師さん(志織ベイベーとは別の人)にたずねると、大丈夫、とのお返事。
だけど「もう信じねえぞ」と頑なになった私、携帯のタイマーを1時間おきにセットし、そのたびに寝る体勢を変える作戦に出る。
で、右下、あお向け、右下、あお向けを一晩中繰り返す。当然眠れてません。でも、ベッドにあお向けに貼りつくしかなかった昨夜に比べると、どれだけ楽か~(泣)。
とは言え眠れないので、起床時間の6時をひたすら待つ。
普段なら、朝方起きしなに時計見て「5時」とかだったら、「まだ眠れる、ラッキー♪」って思うところなのにねえ。
今は「まだ5時~」とベッドの上でじたばたする。
起床時間、待ってましたと起き上がってテレビをつけ、錦織圭くんの見事な準々決勝を見る。
この朝から、精神的な日常、つまりいつもの調子を急激に取り戻す。
術後1,2日目までは、回復にいつまでかかるのか不安で不安で、病院に来てくれる家族と顔を合わせるのも負担だったのに。
自力で歩く、寝返りを打つ。「自分の体を自分で自由に動かせる」って感覚が、メンタルの回復にはとても大事なんだなあ。